2009年11月24日火曜日

THIS IS IT


マイケル・ジャクソンの映画
「THIS IS IT」
を見て気ました。
すべての曲を知っているほどではないですが
小学高学年から中学ぐらいに
レンタルレコード店へ通っていまして
聴いていましたので、
(ムーンウォークも練習していました)
昔と歌もダンスも変わりなく
年齢を感じられませんでしたし
かっこよく、懐かしかったです。

コンサートのリハーサル風景の
ドキュメンタリー映画で
出演者、スタッフとのやり取りに
関心を持ちました。

すべてのスタッフは一流で
「マイケルとのステージを
目標にしていた」という
ダンサー、演奏者がほとんどでしたので
マイケルといるこの場が、
生涯の最高の場であり
尊敬の念がアリアリと感じられました。

マイケルは、
完ぺき主義で
曲のアレンジは原曲のままを追求し、
楽器演奏、ダンス、演出
すべてのスタッフに指示を出し
マイケルを引き出す作業のように
感じられました。

しかし、反面にマイケルの歌にスタッフが
盛り上がり、マイケルを乗せようとすると
「今日は声をセーブしてるんだ。乗せないでくれ」と
コメントがあり、思考でコントロールしている
マイケルは表現しても、
感情で盛り上がる事は戸惑っている
印象でした。

ダンサーに注意するときに
「曲のために言っているんだ。わかるよね」
イヤホンに不快感を感じて演出家に不満を言ったときに
「君に言っているのも、これは愛なんだ」
など、マイケルは怒ってはいけない。
小さな事にこだわってはいけない。
何か思い込みがあったように感じました。

神格化され、意識の集合体であるマイケル像と
本来のマイケルとの違和感が開き
押さえられたマイケルの
影(表現を押さえらられている感情など)が
感じられるシーンもありました。

例として、医者(教師、父母など)が私生活でも
自分=医者の顔(ペルソナ)としか
表現できないケースが見られます。
マイケルの場合、
神格化されたマイケル像=自分
「皆が思うマイケル像以上にならなくては。」
と認識してしまうと、
影も強くなり大変だったのかも知れません。

私たちも意識的、無意識的に
縛られたルールにより
自分、家族、周りの人たちを
苦しめてはいないでしょうか?

しかし、THIS IS ITの公演の主題である
「世界を癒す」思いは、
マイケルの本心であると信じて疑いがありません。
ご冥福をお祈りいたします。

青龍サコダ鍼灸治療院
 迫田 敬一

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